竹茗堂の歴史

竹茗堂の歴史

静岡茶とともに

 当店は1781年、江戸町人文化が花開いた天明元年に茶と茶器の
専門店として、現在の静岡市七間町に創業致しました。
 1756年(宝暦6年)、静岡茶のルーツとも言える足久保茶(静岡市
北部)は、将軍家御用を差し止めとなり、衰退の一途をたどって
おりました。それを憂い、青茶仕立ての製法を導入、地元の人々と
苦心惨憺のうえ復興に成功し、駿府の町で販売したのが、庄八忠実
初代竹茗でございます。
 その喜びを、歌人でもあった初代は、「宇治よりもそだちからよし
芦久保のちやのめぞ春のはつ鷹の爪」と詠い、静岡市足久保に残る
高さ4.5m、幅8mの巨大な句碑が二百数十年の風雪を耐え、現代に
伝えております。この句碑は地元の人々に「狐石」と呼ばれ、今も
親しんでいただいております。
 以来「静岡茶とともに」と言う心意気を代々受け継ぎ、九代230年
営業致してまいりました。
 これからも静岡の茶商として皆様の信頼をいただくため、より一層の
努力をしてまいります。
何卒、御引き立て賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

代表取締役社長 西村 予史男

230年間、お茶のあり方を探求。

初代竹茗翁夫妻の像

竹茗堂の誕生

 竹茗堂は、いまから230年前の天明元年、徳川第11代家斎の時代に現在の静岡市、
当時の駿河の国の中心地、駿府の城下町に誕生いたしました。
(右の写真は旅回りの陶工が、しばらく滞在して作ってくれた初代竹茗翁夫妻の像です)
 「苦節10年のすえにようやく、茶葉を緑色に固定することができた」と、
竹茗堂の初代西村庄八忠実が苦心談を刻んだ 大石が、
静岡市郊外の茶畑の中に残っています。
きつね石

静岡市葵区足久保の狐石に刻まれた句と歌

■松尾芭蕉の句
駿河路やはなたちはなも茶のにほひ

■初代竹茗堂西村庄八忠実の歌
宇治よりもそだちからよし芦久保のちやのめぞ春のはつ鷹の爪
志けれなほいはほに高く生添いて千世のさかえをまつの言の葉
緑茶

緑色のお茶づくり

 これが、静岡における緑茶の始まりでした。
それまでのお茶は、釜炒り製法で作られ、今日の焙じ茶のような茶色の茶葉でした。
色の名前の「茶色」の語源は、釜炒り製法で作られた古来のお茶の色からきているのです。
6代目西村重吉翁

お茶の街づくり

 竹茗堂の本店がある静岡市呉服町は
第二次世界大戦後いちはやく不燃化商店街を完成させたところとして
全国から沢山の見学者を集めたところです。
 商店街が足並み揃えて不燃化するのは大変に困難なことでしたが、
取りまとめに大きく貢献したのが竹茗堂6代目西村重吉翁(右の写真)でした。
 そして、外交的であった6代目を支え、
竹茗堂独自な商品を次々と生み出し発展に導いたのが7代目西村栄次翁でした。

新しいお茶づくり

 いまだに、全国で人気のある「ウス茶糖」は、7代目が昭和8年に作り出した竹茗堂オリジナル商品です。
 また、当時のヒット商品「熱湯玉露」も、7代目が世に送り出したもので、
現在も「わらかけ」と呼び名をかえて当店の人気商品であり続けております。